娘への安産お守りと戌の日の腹帯
妊娠悪阻で入院していた娘は3週間ほどで退院しましたが、
5か月に入っても、ケトン+2、体重-10キロで
ひどいつわりが続いていました。(ケトンとは体の飢餓状態がわかる数値のようです)
その様子を電話で聞いた私達夫婦は、早朝、”安産のお守り”を頂きに
神社へと向かいました。
早く着き過ぎたため人影はまばらでしたが、早朝にお参りに来ている人は、
皆、熱心に手を合わせていました…
私たちが木々を眺めながら、授与所が開くのを待っていると
巫女さんが来て、お守りの入った木箱を並べ始めました。
そこには ”安産御守”と書かれた、かわいらしい布地のお守りが、
いくつか並んでいます…
ひとつひとつが違う柄で作られていたので、パッと目に飛び込んできた
桃色のお守りを選びました。
戌の日が近づいていたので、あらかじめ購入しておいた腹帯と私が選んだ
カットソーとジャンパースカートのセットと共に宅配便で送りました。
荷物が届いた娘は、明るい声で、
「ありがとう!これで私、もう大丈夫だねー!」
と喜んでいましたが、つわりは、まだまだ続くのでした・・💧
娘の”入院”
娘の妊娠がわかって1か月。
つわりがひどく体がふらつくので、ずっと横になっていると
聞いていました。会社は病休で休ませて頂いています。
夕方。婦人科に定期健診に行ったところ、
尿中ケトン体+3。体重-8キロ減。の ”妊娠悪阻” で即入院
と言われたとラインで連絡がきました。(ケトンとは体の飢餓状態がわかる数値のようです)
入院準備をして私が行くからと連絡したところ、良太さん(娘夫)に
頼んだから大丈夫との事でした。病院はコロナ禍のため家族でも
病棟に入れず、受付で荷物を渡すだけだそうです。
娘も1日は個室に入りPCR検査を受け、陰性を確認してから
4人部屋に移るということでした。
個室は差額べッド代だけでも1日2万5千円かかると聞いた娘は
お金の心配を始めましたが、コロナ禍のため仕方ありません💧
それより、1か月で8キロもやせてしまった娘の体を、病院で
管理してもらえることになり、私は少しだけ安心しました…
それにしても失敗したのは”保険”のことです。
大学4年生までは、大学生協の保険に加入していましたが、
就職をしてからは娘任せにしていたので、掛け金わずかな入院保険に
1口しか入っていませんでした。
結婚して妊娠の可能性があったのだから、保険について考えれば
よかったと反省しました。
健康だった娘が、やせ細り入院している姿を想像すると、
私の隣で ”バクバク " と夕食の唐揚げを頬ばる夫が、急に憎らしく
思えるのでした・・
息子の新しい職場
息子は東京勤務となってから、忙しくは、なったものの
人間関係は良好で、活き活きと働いている様子でした。
「新しい仕事だから、また新入社員に戻ったつもりで、いちから
頑張るつもり!」とラインで連絡がきていました。
ただ先日、久しぶりに電話があり、
「福岡に残った同期が、辞めるって連絡あったんだ・・」
と、寂しそうに言っていました。
3人で福岡に配属になり、1人は転職で辞めました。
息子は2年で東京に戻れましたが、あと1人は残留です。
もし、パワハラを受けている息子に辞令がでていなかったら、
あと1年、息子は踏ん張れたのか?と考えると、自信がありません。
と言って、私が転職を促す勇気もありません…
入社して数年で転職をされる若い方が増えているようです…
ご本人も勇気がありますが、その、ご家族も子供さんの決断を
尊重し背中を押していることに、敬服します・・・
娘のキッチンと壁のカビ
妊娠中の娘と電話で話していると
「部屋中の壁紙に ”ポツポツポツ”ってカビがあって嫌になっちゃう」
と言うではありませんか!!
えっ?!どういう事??と思い詳しく尋ねると、
全自動ドラム式洗濯機の乾燥機を使うと、部屋がムシムシして
壁にカビが生えると言うのです。
??私は乾燥機を持っていないので、よくわかりません…
とにかくカビの部屋に住むなんて、健康が心配です。
娘は妊娠中なのです…
「良太さんが来週休日出勤でいないので見に来て」と娘が言うので、
カビ取り洗剤を持って後日、夫と出かけました。
部屋を見渡すと想像以上に壁のクロスにカビがあり、玄関ドアも
窓も結露で濡れていました。カビ取り洗剤を使うので、窓を全開にして
娘を非難させつつ、夫と2人で手分けして掃除をしました。
部屋では壁用洗剤や風呂カビ洗剤、結露取りのテープに除湿器など、
良太さんがカビや結露と格闘している様子が見てとれました。
家では お尻の重い夫も、娘宅では張り切ります。
掃除後、娘のリクエストで肉じゃがを作ろうとした私は、
あまりに狭いまな板のスペースに料理のしづらさを感じ、
毎日ここで調理する娘を、不憫に思いました💧
夕飯の支度を終え、すっかり綺麗になった部屋をあとにしたのは
訪れてから6時間を過ぎた頃でした。
次の日は疲れからか?体が鉛のようにずっしりと重く、
夫と2人、 カップラーメンを食べて過ごすのでした・・
娘のつわりで昔の記憶がよみがえる
娘からの妊娠報告から一週間後。ラインで
” 体がだるくて、つらい。ご飯も食べられない・・仕事がきつい ”
と連絡がきました。
あーそうだった・・・
私が妊娠した時も、つわりがひどく何も食べられなかったことを
思い出しました。
娘には言いませんでしたが、それが出産当日まで続いたのです…
かろうじて飲めた水と食パンの白い部分を食べ、あとは
病院で点滴を受けていたのです・・
娘には、苦しいようなら病院で相談するように言い、
私はネットでつわり対策の食品や飲み物を調べ、急いで
買い物に行きました。
ゼリーやゼリー飲料、梅干し、うどんなどを宅配便にして送り、
”いろはす天然水にれもん”というペットボトルをネットで娘宛に注文しました。
妊婦さんのクチコミで飲みやすいとあったからです。
それから10日ほどして娘から、
”やはりつわりがきつく起きていられないので、
病院で診断書をもらい、会社を休ませて頂く”とのことでした。
私は手伝いに行くことを申し出ましたが、娘は何か困ったら
連絡するとの事でしたので、祈るしかありませんでした…
” スープの冷めない距離 ”という言葉がありますが、娘夫婦とそのような
距離で暮らせたら、すぐに様子を見ることが出来たのに、と残念に思います。
結婚をして2〜3年は共働きで頑張るだろう、と漠然と思っていたので、
むしろ会社の近くに住居を見つけた事に安心していました。
つわりが収まっても、出産の時はどうするの?
その後の育児は?仕事は?
体調を崩している娘に聞けはしませんが、
次々に、疑問と不安が沸いてきます…
帰宅した夫に、娘のつわりを報告すると
「つわりは病気ではない!」と平然と、のたまうので
”うしろから蹴っ飛ばしてやろう!”
と思いましたが、ひざが痛いので止めました・・
娘の”妊娠”
昨年秋。
ラインで ”娘の妊娠” を知りました。
” 今日、お医者さんに行って検査したら妊娠2か月だったー!”
短い文章の中に、娘の喜びが満ちているように感じました。
直接電話で知らせないのは、私がどのような反応をするのか?が
不安なのかな?と思い、
” おめでとう!!良かったね!体を大切にしてね❤ ”
と、すぐに返信しました。
しかし心の中では。。。。
入籍をして、まだ半年もたっていません。
仕事と慣れない家事の両立に、いっぱいいっぱいのはずなのに…
仕事はどうするの?
コロナ禍での妊娠、大丈夫なの?
孫ができる喜びよりも、娘の身を案じて不安な気持ちの方が
先に立ってしまいました。
いけないですね… 子供に恵まれるのはありがたいことなのに・・
帰宅した夫に話すと、
「もう?!もうか〜?花子の人生は、すごいスピードで走って行くなー!!」
と驚いてはいましたが、嬉しそうでもありました・・・
嫁いだ娘の初めての里帰り
「ママー 明日 帰るね!」
と金曜日に電話があったのは、嫁いでから3か月が過ぎた頃でした。
「良太さんが明日出張でいないから、わたしも家に帰ろうと思って」
私は天にも昇る気持ちになりましたが、平静を装い、何が食べたいか?
を聞きました。娘は食べたいものより、作れるようになりたい料理を
リクエストしたので、材料をそろえにすぐにスーパーへ行きました。
翌日。駅まで車で迎えに行くと後部座席に乗り込んだ娘が
「結婚してから何度も帰ろうと思った。だけど平日は仕事で週末は
買い物で、来る余裕がなかったの。きっとママがさみしがっているだろうなー
って思ってたけど・・・」
娘の声がだんだん小さくなったので、バックミラー越しに見てみると
娘は少し涙ぐんでいました…
私は気づかないふりをして、明るく「一緒にお料理作ろうねー」と
声をかけました。
娘が巣立ち、私がさみしがっている事を娘は充分わかっていたのだと
知り、心配をかけないように振舞わねばと強く思いました。
1泊だけでしたが夫もひどく喜び、娘と長い時間、談笑していました。
翌日は、よく行っていたショッピングモールへ娘が行きたいと言うので
3人で出かけました。以前は自分の洋服を見て回っていた娘でしたが
服には見向きもせず、美味しい物が並んでいる地下街で、サクランボや
洋菓子を買い求めようとしました。
お会計は親がと思い、良太さんと夕食に食べるようにと牛肉の乗った
お弁当も2つ買いました。
楽しい時間はあっという間に過ぎ、暗くならないうちに娘を帰宅させようと
駅へ送りました。どうやら出張先から良太さんも自宅に戻っているようです。
「また来るからねー!」と手に保冷バッグいっぱいの食品を持ち
車を降りた娘のうしろ姿は、もう良太さんにおみやげ話をすることで
頭がいっぱいのように見えました。
夫と家に戻ると、
そこは水を打ったような静けさに満ちていました・・・
娘のアルバムを開いて
晴れた日には、何だか少し勇気がわいて、
娘のアルバムを開きます。。
笑顔で ”コロコロ” 笑う娘。
頑張りやで努力家な娘。ポジティブで明るい選択をする娘。
きれいな字を書いて手先が器用な娘。
そして美しい心を持っている娘。
私には、もったいない娘です・・(笑)
↓ 小学生の娘
ものごころが付いた頃から、ずっと犬を飼いたがっていて、
「オール5の成績、取れたらねー」と無理難題を言った私に、
きちんと結果をだしたのに、約束守れなくて、ごめんね…
↓ 中学生の娘
娘と過ごした24年間は夢のように楽しくて、この時間が
ずっと続いてくれたらと思っていました。
でも写真の中で良太さんと幸せそうに微笑む娘の姿を見たとき、
巣立ちの時が来たのだと私は覚悟を決めました。
↓ 高校生の娘
今はもう、毎日、娘の笑顔を見ることは
できないけれど、良太さんと2人、互いの弱い部分を助け合いながら
仲良く暮らしてほしいと願っています。
それが娘の本当の幸せだと思うから・・・
巣立ちした娘の部屋
娘が結婚をして家を出てから1か月を過ぎた頃。
洗濯物を干そうと、娘の部屋からベランダに出ようとした時、
ふと気づきました。
” 部屋の匂いが変わっている・・”
巣立った直後は、娘の残していったベッドや数点の洋服から
娘の香りが漂っていました。
でも、今日は違います…
空き部屋に入った時のような無機質なコンクリートのような匂いです。
住む人がいないと、こんなにも変わってしまうのかと
打ちのめされた気分です。
娘の置いていった物を見ると、せつない気持ちになるので
努めて見ないように生活してきましたが、匂いは一瞬で現実を
知らしめます。
元気かな?
幸せでいてね…
目を閉じて祈ります。
そして今日も娘のいない一日が始まります・・・
娘が巣立った日②
☆この日記は昨日のつづきです
駅へと娘を送った私たちは引き返して、新生活の家財道具を車に
つめこみ、娘の新居へと向かいました。
到着すると不動産屋さんから鍵を受け取った良太さんと娘がいて
4人で荷物を運びました。私達が着くのと入れ違いに良太さんのご両親が
先に照明器具やカーペットを準備して下さっていました。
良太さんと夫が、到着していた組み立て家具に悪戦苦闘している間に
娘とキッチンやバス用品を整えました。
笑顔で食器を棚に収める娘を見ながら、
”あと、どのくらい一緒にいられるのだろう?”
と、コチコチと部屋に響く時計の秒針が私にだけ大きく聞こえました…
夕方、部屋が整い夫と帰宅する時。娘の携帯電話の下に手紙を置きました。
玄関で笑顔の2人に見送られ車に乗り込んだら、涙がでそうになったけれど、
「これでいい!これでいい! 花子は幸せになるのだから … 」
と何度も何度も自分に言い聞かせ我慢しました。
もう娘の笑顔を、” 毎日 ”見ることはできません・・・
娘が巣立った日①
2020年春。
娘が入籍し家を出ました。
私の時代は結婚式当日まで実家に住み、式の後、新生活に
入るのがスタンダードだったような気がします。。
しかしコロナ禍で結婚式も延期中。
いつ挙げられるか?わからないので、入籍をして2人の暮らしを
スタートすることに決めたようです。
娘は会社員で日中、出勤していましたので私が新居で使う日用品を
少しづつ買いそろえていました。商品を選んでいる時には、
娘が使いやすい物、娘が困らないように、と意識を集中していたので
淋しさも忘れていました。
しかし帰宅して部屋いっぱいに並んだ品物を見ると巣立ちの日が
近づいているのを感じずにいられませんでした。
家を出る当日の朝。
靴を履いた娘に「最後に一度だけ抱きしめてもいい?」と声をかけました。
幼い頃、抱きしめた以来、大きくなった娘を抱きしめた事はありません。
娘は一瞬、驚いたようでしたが「わたしは大人だよ〜」と言いながらも
それを許してくれました。
本当はギュッと力強く抱きしめたかったけれど、包み込むように、
そっと手を回しました。やわらかくスズランのような香りがする娘の
耳元に「幸せになってね」とひとこと言うのがやっとでした…
夫と3人で駅へと向かう車の中は静かでした。
まもなく駅へ着くという時、
「わたしは、またすぐに帰って来るから大丈夫よ〜」
と娘が明るく言いました。
駅へ吸い込まれる娘のうしろ姿を夫と二人、見えなくなるまで見送りましたが
振り返ることは一度もありませんでした。
娘は弾むように歩き、良太さんとの新生活に胸をふくらませている
ようでした・・・
娘の新居
昨年の春。
娘は入籍を済ませ、良太さんと住む新居を探していました。
不動産屋さんに行きましたが、コロナの影響で物件の動きが鈍く、
空きがでても、すぐに埋まってしまい苦戦しているようでした。
「今日もダメだった。3件ほど見せてもらったけど、予算オーバーだったり、
雰囲気が暗かった」
と、がっかりした様子で帰ってきていました。
週末を使い何件か回ったのち、何とか見つけた部屋は、築20年以上の
マンションで、小さな小さな部屋でした。
それでも2人は、やっと住む所が見つかってホッとした様子でした。
私も夫も、不動産屋さんがくれた物件情報の載った紙を見せてもらい、
その部屋の狭さを心配しましたが、娘夫婦の決めたこと。
新しい門出に口出しは無用と相談し、” 決まって良かったね ”とだけ
娘に伝えました。
新居が決まり、ワクワクしている娘とは反対に、娘の巣立ちがいよいよ
近づき、気持ちが沈んでいく私でした・・・
娘の結婚式場と”ゼクシィ”
昨年の早春。
婚約をした娘は憧れのブライダル情報誌 ”ゼクシィ”を買って嬉しそうに
ページをめくっていました。
「今週末、良太さんと式場見学の予約をしたの」と言う娘に、
「あわてて決めず、2人でよく相談して決めてね」とだけ言って送り出しました。
その後3件ほど見学に行き、2人は迷わず海の見える式場を予約したようでした。
コロナ禍になり、予定していた式の打ち合わせは次々と中止になり、
秋に予約していた結婚式も延期となったままです。
新婚旅行にも行けず、
婚約中の1番楽しい時期がコロナに押しつぶされ、かわいそうに思いましたが
娘はいつも幸せそうにしていました・・
盛大な結婚式でなくていいから…
娘のウエディングドレス姿を見られる日がくるのを、残されたゼクシィと
共に心待ちにしています・・・
娘が”結婚のご挨拶”に行った日
娘の彼が ”結婚の申し込み”に来て下さってから、間もなく。
今度は娘が良太さんの家に、ご挨拶に行くことになりました。
私は自分の好物で、普段おつかいものにしている地元の
銘菓を選びました。
娘は白いブラウスに紺色のジャケットとスカートのセットアップを
着て、緊張した面持ちです。
「お伺いしたら、紙袋から取り出して菓子箱を渡すのよー」
「靴を揃えて、挨拶をしっかり!笑顔を絶やさないでね」
次から次へと注意事項を繰り出す私に、娘は逃げるように
「行ってきまーーす!!」とドアを閉めました。
私は、良太さんのご両親が娘を気に入って下さるか?と
1日中、気をもんでいました。
夕飯の支度をしていると、娘が帰宅。
「どうだった―?!」とエプロンで手を拭きながら聞くと、
「まぁまぁーー。。ご両親は大丈夫だと思うけど、ミニチュアシュナウザー
って、まつ毛の長い犬が2匹いて、私に向かって交互にずっと吠えてたー」
「ワンちゃん達には完全に嫌われてた感じ…それでね、私がケーキを
食べていたら、お母様がケンカしている犬の仲裁をしてて、
よく見たら私の汚い化粧ポーチを取り合いしてて、あせっちゃったー!!
足元に置いていた、私のトートバッグに頭を入れて盗ったみたーい」
想定外のワンちゃんの出現と、
良太さんのお母様に、洗濯のしていない化粧ポーチを見られて、
娘は恥をかいたようです…
大切な日には持ち物にも気を配らねばなりませんね・・・💧
息子の引越
3月末日。
いよいよ息子は2年間暮らした福岡を離れ、東京へと戻って
来ることになりました。
パニック障害で飛行機に乗れない私の代わりに、夫が引越の手伝いに
福岡へと1泊で出かけました。
息子の部屋で荷作りをしていると、部屋のあちこちから、送別の贈り物や
寄せ書きの色紙がでてきて、職場の皆さんに、かわいがって頂いたのだと知り
感謝したと夫が言っていました。
部屋の掃除も終え、夜は2人で息子おすすめの定食屋さんへ行き
楽しい時間を過ごしたようです。
翌朝。
早くから息子の電話が鳴り、福岡でできた友人達と最終便の飛行機まで
遊びに出かけたとのことでした。
息子は数日、実家から出勤し、週末を利用して賃貸のワンルーム
へと移動しました。
息子が帰宅すると、娘がとても喜んで、
「ずっと家から通えば良いのに!」
と説得しましたが、ダメでした💧
にぎやかな朝は、早々に終わってしまい、私もがっかりしました。