息子と娘は月と太陽
昨日までの ” 息子が樹海で保護された日 ” をお読み下さった方、
ご心配おかけしました…
あの日まで、私は息子のことを、
友人が多く、いつも人の輪の中にいて笑顔で過ごしている…
帰省の折、本人の話の内容や、かかってくる電話で友人と
話す様子から私はそんなふうに感じ安心していました。
しかし、あの日からは、息子の繊細な面に目を向けるようにしています。
息子は、人の心をすぐに感じ取るので、息子と話す時には、
表情や言葉を選ぶように気を付けるのです…
息子は変わらず、山梨に向かった理由を話してはくれません。
最初の頃は何とか原因を聞きだして、対策を講じなければと
考えていました。
しかし今は、息子の抱えている ”心の荷物” について、立ち入らず、
黙って見守ることが、一緒に荷物を持つことになるのかな?と
感じています…
私には度々、日記に登場する娘もいます。
娘は昨春、結婚をし、巣立っていきました。
娘の妊娠を知ったのは、息子の山梨での出来事のすぐあとでした。
息子の一大事に心が大きく揺れ、沈んでいたので、
手放しに喜ぶことが出来ませんでした。そして、いつも
電話の最後に「お兄ちゃんは元気?」と聞いてくる娘に
「大丈夫、元気よ」と答え、決して兄の本当の状況を知られては
ならないという秘密ができたことに、心がずっしりと重くなりました…
娘の人生は ”結婚、妊娠、出産”と大きく変化し、太陽のように眩しく
暖かく感じます…
息子の人生は ” 理由はわからないけれど ” 月のように、ほの暗く
静寂を感じます…
この2人の子供たちの間を、左右に大きく揺れる振り子のように、
私の心は揺れ続けるのです・・・・
息子が樹海で保護された日⑤
私たち夫婦は、息子と適度な距離を保ちながら、
連絡を取り合い、今日に至るまで様子を見続けています…
あの日。
聞きたかったけれど、聞くことが問いつめることになり、
問いつめることが追いつめることになるような気がして、
尋ねることが出来なかったことを、後日、手紙にして息子に送りました。
” あなたが巣立った日から一日だって、想わない日は無かったよ ”
” あなたの抱えている荷物は、生きていくことが出来ないほど
重いものなの?”
” その荷物を親と分け合うことは出来ないの?”
” あなたはいつも笑顔だったけど、心は泣いているの?”
息子が手紙を読んだであろう時刻を見計らって、電話をしてみました。
すると、
「母さん・・・こんな事をしたら、僕の気持ちは、あの日に戻っちゃうんだよ・・」
と消え入りそうな声で、絞り出すように言いました。
私は「ごめんなさい…もう聞かないから安心して」とだけ言い
電話を切りました…
樹海で保護された日。
”持っているもの全部、捨てようと思った”
と息子は言いました。あの時、息子が言った言葉の意味が
すぐにはわかりませんでした…
しかし、今は、はっきりとわかります。
” 仕事、友人、家族、そして自分の命 ” それら全てを捨てようとした。
電話が鳴るたび、”息子に何かあったのでは?”と怯える毎日が続きました。
私は日々、息子を想い、
”もう大丈夫かな? もう大丈夫だよね?” と心の中で
問いかけます。
しかし、あの日のことは、私の心に暗い影を落とし、きっと忘れることは
出来ないのだと思います…
息子は ” もう大丈夫だから ”とは、決して言ってはくれないのです・・
息子が樹海で保護された日④
雨の中、息子のマンションへと車で出発しました。
車内は静寂につつまれ、ただ左右に動くワイパーの音だけが
”ギュッギュッ” と響いていました…
息子の部屋に入ってすぐ、気づかれぬようテーブルの上を目で確認したところ、
”遺書” のようなものはありませんでした。
しかし、いつもとは違う、スッキリときれいに整頓された部屋を見た時、
息子の覚悟を知ったような気がして恐ろしくなりました…
「本当に明日から会社に行けるの?無理せず休んでいいから」
「お父さんもお母さんも、あなたのこと大好きだからね」
「いつでも、なんでも相談にのるからね」
「嫌でなければ、心療内科に行くことも考えてみて」
「第一に ”自分の命” を大切にしてほしい」
20代の息子の頭を、まるで小さな子供の頭をなでるように優しく
手をすべらせました。
「親が帰っても、大丈夫か?」と夫が再度確認した時、
息子が小さな小さな声で「心配かけてごめんなさい・・」と
応えました。
帰宅する車の中で、息子は ”もうしない” とは一度も言わなかった
事に気づき、私の心は不安で不安でたまらないのでした・・・
息子が樹海で保護された日③
3人で宿泊したホテルを出た私達は、息子を連れて自宅に
戻りました。青白い顔をした息子も、一人暮らしのマンションに
直接帰りたいとは言いませんでした。
週末に続けて、会社は3日間、有給を取っていると言っていました。
自宅に着き、昨日の出来事について話を聴こうと、息子の答えを
待ちましたが、息子の口は重く、やっと開いた口からでた言葉は
きのうと同じものでした。
暖かい食事とお風呂を用意し、息子が自然に話してくれる時を
待つことにしました。
息子がお風呂に入っている間に、夫が息子のリュックの中身を
見ました。精神薬と思われる数種類の薬と飲みかけのペットボトルの
水が入っていたようです。
息子は就職して福岡に配属された時にパワハラにあい、心療内科に
通っていました。東京勤務になっても、こちらで通院していたの
でしょうか?それとも福岡での薬の残りを持っていたのでしょうか…?
息子は実家に3泊したのち、「明日は会社に行くから」と自分で
借りているマンションに戻ると言いました。
結局、何も聞きだせないまま時が過ぎてしまいました・・
「会社に行く」と言う言葉を信じ、仕事を休んだ夫と車で息子の
マンションまで送ることにしました。日用品や食品を運ぶという
名目でしたが、本当は息子の部屋に ”遺書” があるのか、知りたかった
のです・・・
息子が樹海で保護された日②
電車を乗り継ぎ、乗り継ぎ3時間以上かかって、たどり着いた
その場所に、息子はうなだれて座っていました…
息子だと確認した私達は、保護された時の様子を聞き、
警察署をあとにしました。
本当は息子の姿を見た瞬間、駆け寄って抱きしめたいと思ったけれど、
夫に「取り乱すな。太郎を責めるな」と釘をさされていたので、
こらえました。
ただ ”そっ”と息子の肩に手を置くと、私と目を合わせない息子の瞳から
涙が”スッ”と流れました。
辺りは真っ暗になり、
「息子さんを一人にしないように」と言われていた私達は
帰路の途中でホテルを見つけ、夫は息子と同じ部屋に宿泊しました。
訳もわからず、とてもこのままでは眠れないと思った私は、最初、
息子たちの部屋に行き、息子の話を聴こうとしましたが、
息子は目をそらしたまま、何を聞いても答えてはくれません。
長い長い沈黙のあと、
「持っているもの、全部捨てようと思った…」
「森に入ろうとして、歩いていたら声をかけられた…」
それだけを言って、また黙ってしまいました。
夫が「今晩は俺が付いているから」「太郎も疲れているだろうから休ませよう」
と言うので、私はホテルの自室に戻り、息子の言った言葉を何度も、何度も
思い返し考えていました・・
もし、誰かが声をかけてくれなかったら、あなたは森に入ってしまったの?
その結果どうなるか?わかっていたの? 命を捨てようとした原因は何なの?
家族に相談できない事なの?友達にも話せない事?
どうしてこんな所まで来たの?来る途中に思い留まることはできなかったの?
どうして・・・?どうして・・・?
頭の中でぐるぐると、疑問が駆け足で回ります…
途切れ途切れに2時間ほど寝たでしょうか?
気づくと朝になっていました・・・
息子が樹海で保護された日①
昨年の晩夏。
夕方。 自宅の電話のベルが鳴りました。
電話に出た夫の様子がおかしい事に、夕飯の支度を始めようと
していた私は、すぐに気が付きました。
「山梨・・?!息子・・??保護・・?警察・・・?」
夫は何かをメモして「すぐに向かいます」とだけ言って
電話を切りました。
「大変だぞっ!!太郎が樹海で保護されたらしい・・」
えっ !?何 ?? 何かの間違いでは?? 驚いた私は、
夫に聞き返しましたが、夫はもう、出かける準備をしています。
「免許証で本人確認されているから間違いない。樹海に入ろうとしている
所を保護されたって」
話を聞くと、息子は ”自ら命を絶とう” としていたようです…
私は、まだ半信半疑でしたが、一人で出かけようとしていた夫に、
「私も行くから!」と言い、服だけ着替えてすぐに出発しました。
山梨に向かう途中。電車の中で、
待っているのは本当に太郎なの?
太郎だとしたら、なぜ樹海なんかに行ったの?
”命を絶つ”って、どういう事? 何があったの!?
揺れる電車に身をまかせ、考えても考えても、わからない答えに
ただ呆然とするのでした・・・
息子のアルバムを開いて
雨の日には、何だか少しさみしくなって、
息子のアルバムを開きます…
男女問わず友人が多い息子。
休みになるとテニスに出かける息子。
心優しく、人を大切にする息子。
私の下手な手料理をおいしそうに食べてくれる息子・・
息子は就活で3社から内定を頂きました。
その内2社は自宅から通勤できる会社でした。
しかし最終的に息子は全国転勤必須の会社を選び、
家を出ました。そして配属先の福岡でパワハラに合い、
心療内科に通うことになりました…
その後、東京勤務となり無事こちらに戻りましたが、
実家には戻らず、ひとりマンションで生活しています…
開いたアルバムの中で、にこやかに微笑む息子に
” どの時点に戻れば、笑顔を取り戻せるの・・・?”
と聞きたいけれど、
写真からは答えを見つけることが出来ずに、
今日も ”そっ”とアルバムを閉じます・・・・
母からのバトンを娘に
娘が臨月に入り産休中なので、良太さん(娘夫)が仕事に行っている昼間。
娘宅に下ごしらえした食材などを持って向いました。
ひとりで電車に乗り出かけるのは、大変緊張します。
パニック障害の私は、行き慣れた場所以外、めったに出かけることを
しません…
発作が起きないように、目をつむりドア近くの座席で揺られていると、
ふと母のことを思い出しました。
母は2年前に他界しましたが、私が妊娠中や出産直後など、
手助けをするために、ショッピングカートを引きながら、
県をまたいで通ってくれていたのです・・
あの時の母は今の私より高齢でした。
娘宅で昼食と夕食の用意をし、片道2時間かけて行き来していた
母を想うと、ありがたく、今更ながらに申し訳なく思います…
「お母さん。。大人になれば自然とお母さんのように料理が作れると
思っていたけれど、そうじゃなかった。お母さんは器用で料理上手
だったのね… 心臓が悪いのに、重い食材を運んでくれて、
ありがとう。今、私も花子に、お母さんがしてくれたこと、
頑張ってするからね!」
心の中で母に話しかけながら、娘の家へと向かいます。
料理に自信が無い私。
母からのバトンに愛情だけはしっかり込めて、手渡ししようと思います・・・
”怖い”何かが2階に住んでいる・・
私の家は2階建ての一軒家です。
子供たちが巣立ち、夫婦2人で住んでいます。
夫が仕事に行き、昼間、私がひとりで生活していると、
突然、”ドタン”と天井に衝撃が走ります・・
まるで高い所から人が飛び降りたような音です。
「・・・・・」
私は身構え、その者の動向を耳で探ります。
しかしそれ以上、音はしません。
正体を確かめるため、震える足で”そーーっ”と階段を上がります。
通報できるように手にはスマホを握っています…
一つ一つの部屋に用心深く入り、クローゼットや納戸の扉を
恐る恐る開けます。誰も隠れていません・・
思い切ってベッドの下を覗きましたが、やはり誰の姿もありません。
もしやロフトにいるのかも・・・?
我が家には、天井裏に長いハシゴを掛けて昇るロフトが
あります。普段使用していませんが、数点の椅子などの家具が
置いてあるはず・・
一瞬、確認しようか?と思いましたが怖くてできません…
別の日には、”カタカタカタ”と何とも表現できないような音が
聞こえてきたり、買い物から帰った私が玄関に入ると、
”バタバタバタ”と人が慌てて走る足音が聞こえ、家に入るのを
ためらうほどでした。
夫に話すと「馬鹿らしい、気のせいだろ!」と相手にされませんでしたが、
ある日、2人でテレビを見ていた時、2階から”ドスン”と誰かが尻もちを
ついたような大きな音が聞こえ、夫も凍り付いたのでした…
それから夫は、嫌々ながらも懐中電灯を片手に、ロフトの階段を
一歩づつ昇り、中を確認しました。「暗くてよく見えないけど、
何もいないなー」とだけ言って、すぐに階段を降りました。
ロフトには小さな明かり窓があり、照明は無いのです。
私は、中に入って、よく確認してほしかったのですが、
夫が嫌がっていることが背中に感じとれたので、何も言えません
でした。
その後も疑問を残しつつ暮らしていますが、
ある日には家の中で、嗅いだ事のない匂いを感じたり、
夜寝ているときに、聞いたことのない機械音を耳にして
目覚めた事もあります…
うちの2階には、私の知らない ”何かが住んでいる”と
感じずにはいられません・・・・
”臨月”になった娘からの電話
洗濯物をたたんでいると娘から携帯に着信がありました。
「ママ―。わたし何だか不安になってきちゃったー💧良太さんが
会社に行って不在の時、わたし一人で育児できるかなーって」
なんだか声が沈んでいます…
実は私も最近、もし娘が帝王切開になったら、
”毎日、娘のサポートに行かなくてはいけない”というプレッシャーで
不安な毎日をおくっていたのです。私は ”パニック障害” なので
とにかく電車で外出するのが大の苦手なのです・・
娘は娘宅近くの病院で出産します。
その後、実家に連れ帰ることも考えましたが、万一娘の体調が
崩れた時に、こちらでは診てもらえる病院がありません…
やはり万一に備えて、私が移動したほうが安心だと思いました。
娘には「初めての出産、育児、不安よねー。でもやるしかない。
良太さんと力を合わせてね!私も付いてるから、心配しないで❤」
と言いましたが、本当は赤ちゃんの育児なんて忘れてしまっていて、
私の方が不安でいっぱいなのです…
娘と話している途中、良太さんのお母様の話題になりました。
「良太さんのお母様ね、優しくて素敵な方なのよー♪ 困ったら何でも
相談してって言ってくれるの。お料理もとても上手で尊敬しちゃう!」
と娘がうれしそうに言いました。
別居ではありますが、嫁家に馴染み、可愛がって頂いている様子。
大変ありがたく、それが娘の幸せにつながると頭では解かっている
つもりなのに…
電話を切った途端。
とてつもない寂しさに襲われ、涙が頬をつたいます・・
↓ 50代になって育児本を買いました。私も勉強が必要です
娘の妊娠はトラブルのフルコース
”娘の妊娠経過”
妊娠悪阻での入院→6か月まで長引くつわり(体重-10キロ)
→妊娠糖尿病→逆子→へその緒が首に巻き付いている→帝王切開の予定
妊娠するまで娘は健康そのものでしたが、9か月に入った現在。
妊娠糖尿病で毎食後、指先から自分で採血をして血糖値測定をする日々です…
私は、血糖値というのは病院で計るものだとばかり思っていましたが、
病院から、自分で ”血糖値測定器” を購入するように言われ、
通販で買ったとの事でした。
そして今、娘が心配しているのは赤ちゃんが ”逆子” になっている事です。
逆子が直らないと ”帝王切開” になるらしく、娘は普通分娩を希望して
います…
私は娘が健診を受ける度に、逆子は直ったのか?が気になりますが、
娘は健診に行かずとも、
「逆子?直ってないよ… だってお腹の下の方を蹴っ飛ばしてるもの」
と、赤ちゃんの位置を把握しているようでした。
帝王切開だと予定日の2週間前に手術となるため、逆子が直り普通分娩が
できるかどうか?の判断のタイムリミットが近づいています…
私は祈るしかありません。
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息子の遠距離恋愛
就職して配属先の福岡から東京に転勤になった後も、
有給休暇や連休を利用して、息子は時々、福岡へと向かって
いました。
”2年間過ごした福岡で、どうやら好きな人ができたみたい・・”
私には「友達に会いに行く」と言っていましたが、
時折、夫と訪れた息子の部屋には、女性から頂いたと思われる
プレゼントや観光地の半券が2人分、置いてあるのを目にしました。
東京勤務になってから1年くらいが過ぎた頃。
実家に帰省したときに軽い気持ちで、「最近、福岡には行っているの?」
と尋ねると、「いや、行ってない」と突如、顔がくもりました。
聞いてはいけない事を尋ねたのだと瞬時に悟り、慌てて話題を変えましたが
息子の顔はずっと、くもったままです…
遠距離恋愛は終わりを告げたようでした・・・・
娘”妊娠悪阻”のつぎは・・💧
娘の長いつわりが収まって、やっと食事を摂れるようになったと
ほっとしていた頃。妊娠8か月になった娘から電話がありました。
「今日、婦人科の検査で”妊娠糖尿病”だって言われたの。5日後、
再検査だって・・」
”えっ!?妊娠糖尿病って何?私はならなかったのに・・”と思いながらも
娘の暗い声に、「再検査の結果を見てから、対処すれば大丈夫でしょ?」
と励ましにもならない言葉で締めくくり、電話を切った直後に調べてみました。
”妊娠糖尿病”になりやすい人
・糖尿病の家族がいる
・肥満妊婦
・35歳以上の妊婦
などがあるようですが、娘はどれにも当てはまりません。。
しかし血糖値の管理をしないと、母子共に影響があるようです…
気をもみながらも再検査の結果の連絡を待っていると、
「やっぱり妊娠糖尿病だって。来週大きな病院に転院して
食事療法の指導を受けます・・」
と娘からラインが…
う〜〜ん💧
やっと、つわりが収まり、10キロも減った体重を戻せると
思っていたのに・・
またまた心配事ができてしまいました…
・・・・
何だか ”夫の厄年”が、家族に不調をもたらしているように感じ、
元気いっぱいで筋トレしている夫を、恨めしく思うのでした…
二世帯住宅と無印良品の家
娘は出産後、1年間、育児休暇をとる予定です。
しかし、1年後、職場復帰したら孫ちゃんは、どうするのでしょうか?
保育園に入れたとして、熱がでたり病気になり、保育園から
電話がきたら、その都度、会社を休んで迎えに行けるのでしょうか?
良太さんのご実家は、すでに二世帯住宅で良太さんの妹夫婦と同居されて
います。娘夫婦は会社の近くにマンションを借りて住んでいますが、
私の家からは2時間近くかかります。
娘の手助けをするにも、ちょっと遠すぎるので、主人と我が家の2階を
リフォームして二世帯にするしかないか?と何となく話していました…
しかし、今回、良太さんが ”乗り物酔い”がひどく、バスも薬がないと
乗れない事がわかり、駅から歩けない我が家は無理だとわかりました。
今後どうするのか?
娘夫婦は、どうしたいのか?
私達には、何ができるのか?
いろいろ考えなければなりません…
スーパーに行く途中に、”無印良品の家”という建築中の家を
見つけました。なんだか素敵なお家が建ちそうで、
ワクワクします・・・
娘の夫の弱点が発見される…
娘が妊娠7か月に入った頃。ようやくつわりが収まり、
「食欲がわいてきたー」と連絡がきて安心しました。
そして、赤ちゃん用品を揃えたいから、週末に車で連れて行ってほしい
とのことでした。
夫と2人で娘宅へ向かうと、良太さんが笑顔で出迎えてくれました。
娘宅から車で15分ほどの ”赤ちゃん用品専門店” へ4人で行く途中、
後部座席で娘がしきりに「大丈夫?大丈夫?」と言っています…
何か?と思い振り向くと、良太さんが体を前に折り曲げて伏せています。
娘が夫に車を止めさせると、
「良太さんは車酔いしたから、ここから歩いて行くって」
と言い、車を降りました。
まだ車に10分ほどしか乗っていません…
心配していると娘が、「私も歩いて行こうかな」と言いましたが
良太さんが止めたので、3人で先に店へと向かいました。
知りませんでしたが、これまでにも娘と出かけた先で、
何度も乗り物酔いをしていたようです。
酔い止めの薬が欠かせないと言う良太さん。
外的要因の他に、ストレス、不安など精神的な要因もあるようなので、
今後は充分気を配ろうと思います・・・
幸いな事に良太さんは体調をすぐに取り戻し、合流することが
できました。
コロナ禍のため、私達夫婦は別の店に行き、ベビー用品は娘夫婦で
迷いながらも2人で相談して決めたようです・・・